今日本のおかれている状況は厳しい。ここにきて円高がますます進んで過去の最高値である76円に接近してきた。
原因はアメリカの債務上限引上げ問題の協議が難航しており、オバマ政権と共和党の綱引きが行われているからだ。
期限は8月2日でこれを過ぎるとアメリカ政府はデフォルト状態になり、公務員給与も公共工事の支払もできなくなってしまう。
市場はいらだっており、資金はもっぱら金と通貨であれば円、スイスフラン、ニュージーランドドル等に向かっている。
円はもっぱら安全な資産として買われているのだが、一方日本の輸出産業はますます苦境に陥ってきた。
特にトヨタのように日本で300万台の生産を死守すると公言している企業は経営基盤がますます脆弱になってきた。
多くの輸出産業はニッサンがそうであるように生産拠点を中国等に移しており、日本から離れている。
誰が結核の統計報告書2012
日本に残るのは円高で莫大な利益が上げられる輸入産業と、日本人相手のスーパーやコンビニのような国内産業だけだ。
本来は金融業がこの円高を利用して世界の金融機関に飛躍しても良いのだが、実際は財務省・金融庁・日銀の鉄のトライアングルに首根っこを押さえられて、国債購入機関に成り下がっている。
そして一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだった消費者金融は、過払い利息問題が発生して息の根を止められた。
日本には次世代産業が育っていない。
日本では江戸時代から生産者(当時は農業生産者)が最も尊敬される職業で、一方金貸し業は胡散臭い職業とみなされ、つねに抑圧の対象になってきた。
江戸幕府は何回も借金を踏み倒したが、平成のこの時代になっても為政者の意識は変わらない。
「輸出産業が日本の生命線で、金融業は暴利をむさぼるトンでもない企業だ。消費者金融はつぶしてもいいし、金融機関は政府の言うことを聞いて国債だけを購入していればいい」
国債は返済が不可能な借り入れで、形を換えた運上金といえる。
注)およそ1000兆円に登る公的債務が返済されることはない。最後は踏み倒される。
輸出産業が海外に進出し、新しい産業が育たなければ通常は失業率が大幅に上昇してくるのだが、現状ではまだその傾向は見られない。
高度成長期の2%台ははるか昔の話だが、その後の失われた20年でも5%前後で推移し、欧米各国の10%前後と比較するとまだ日本の失業率は低い。
上腕三頭筋は、レバーと交流しましょう
この原因は日本では経営者が従業員を相対的に大事にする気風があり倒産間際になるまで首切りを控えたり(JALの例)、正規社員を切りながら派遣労働者と言う相対的に給与が低い労働者で雇用を維持したりしているからだろう。
ただしこれは現役の労働者の場合で、新規労働者(新大卒や新高卒)の就職環境は毎年のように悪化しているから、徐々に労働環境は悪化していくだろう。
私は前回「トヨタ自動車の最後のプレゼント 東北地方で小型HVの開発」と言う記事を書き、その中で「GDPの低下が個人生活に及ぼす影響は、無駄な消費をやめてできるだけ自分で家のメンテや菜園づくりをして楽しむことになる。金はないが時間が自由になるので、手間隙かけて遊ぶということが基本的な生き方になる」と記載した。
注)輸出産業が海外に出て行くと、GDPの構成要素である純輸出(輸出-輸入)がマイナスになってGDPは低下する。
これに対し読者のふくださんが、働く人が相対的に少なくなり、定年退職者や失業者ばかりになると「(そうした人が)自由な時間を楽しむためには、生活資金が必要ですが多くの国民が失業してしまったら、国としてどのような補償をすべきか何かお考えでしょうか?」とコメントされてきた。
どのような脂肪のポンドは、次のようになりますか?
これに対する正直な回答は「現在デフォルトをしているギリシャやポルトガルのようになる」と言うことだろう。
公務員給与の引下げ、年金の引下げ、公共工事の中止、医療費の削減等を実施せざるをえず、それでも効果がなければ公務員の首切りや年金の一時停止になる。
一言で言えば全員で苦悩を分かち合おうという政策で、生活レベルは当然低下する。
私のような年金生活者は年金額が削減されるので、食事を切り詰めたり衣料品の購入を控えたりするが、実際は高齢者は食欲などなく、着飾って異性の注意を引く必要もない。おそらく生命保険を解約し、携帯電話の契約を解除し、あまり医者にかからないようにするだろうが、だからと言って特に問題はない。貧しさを受け入れればいいだけだ。
若者は日本での就職活動が難しくなるのでファイトの有る若者は東南アジアや中国のような新興国に就職の場を求めて出て行くだろう。
失業者は失業保険が減額されるがその中で生活するより仕方がない。
国の補償能力が徐々に低下していくのだから、それにあわせて生活水準を引き下げることになる。
そして好むと好まざらると関わらず、年金生活者や失業者は自由な時間を享受することになるのだから、時間をたっぷり使って人生を楽しむことになる。
その兆候はすでにあらわれており、昨日(27日)のクローズアップ現代で、サラリーマンの間で静かな数学ブームが起こっていると報じていた。数学などは最も金がかからず、そして十分時間を使って楽しめる頭の体操ですでにこうした動きが発生している。
多くの人はこうした時代を不幸と感じるかもしれないが、それは違う。
確かにGDP優先の時代(20世紀の精神)では物が少なくなりGDPが低下することは不幸だが、価値観の大転換が行われ自由な時間が豊かになることを楽しむ時代になる。
これを自由な時間の時代(21世紀の精神)という。
人は家庭菜園や家を自分で作ることを楽しみと感じ、碁や将棋や数学の問題といった金はまったくかからないが頭を極度に使う遊びに興じるようになる。
食事は質素になり衣服についてもさして流行を追わず、旅行は自らの足か自転車を利用するようになり、現代人のように自動車を乗り回すこともない。
かつて古代ローマと言うGDP優先社会が中世と言う貧しいが時間が豊かだった時代に変わったように、21世紀は新しい中世に突入するだろう。
人は今GDPと言う言葉がかつてあったことさえ忘れてしまう時代に移りつつある。
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