★2000年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '05 右 3B アレックス・ロドリゲス (NYY)162 605 .321 48 130 21 91 139 .421 .610 '04 右 LF マニー・ラミレス (BOS)152 568 .308 43 130 1 81 124 .397 .613 '03 右 SS アレックス・ロドリゲス (TEX)161 658 .298 47 118 17 87 126 .396 .600 '02 右 SS アレックス・ロドリゲス (TEX)162 624 .300 57 142 9 87 122 .392 .623 '01 右 SS アレックス・ロドリゲス (TEX)162 632 .318 52 135 18 75 131 .399 .622 '00 右 3B トロイ・グラウス (ANA)159 563 .284 47 102 14 112 163 .404 .604 ●参考記録 '02 左 1B ジム・トーミー (CLE)147 480 .304 52 118 1 122 139 .445 .677 '01 左 1B ジム・トーミー (CLE)156 526 .291 49 124 0 111 185 .416 .624
近年は、本塁打王はアレックス・ロドリゲスが独占していた状況だったが、むしろ、テキサス移転から極端に本塁打数が増え、移籍後元に戻った事を考えれば、じつは球場要素もかなり左右していたかもしれない。本塁打が出にくい球場でプレーしたトーミーにとっては不運だったと言える。
★1990年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '99 左 OF ケン・グリフィーJr (SEA)160 606 .285 48 134 24 91 108 .384 .576 '98 左 OF ケン・グリフィーJr (SEA)161 633 .284 56 146 20 76 121 .365 .611 '97 左 OF ケン・グリフィーJr (SEA)157 608 .304 56 147 15 76 121 .382 .646 '96 右 1B マーク・マグワイア (OAK)130 423 .312 52 113 0 116 112 .467 .730 '95 右 OF アルバート・ベル (CLE)143 546 .317 50 126 5 73 80 .401 .690 '94 左 OF ケン・グリフィーJr (SEA)111 433 .323 40 90 11 56 73 .402 .674 '93 右 OF ホワン・ゴンザレス (TEX)140 536 .310 46 118 4 37 99 .368 .632 '92 右 OF ホワン・ゴンザレス (TEX)155 584 .260 43 109 0 35 143 .304 .529 '91 右 1B セシル・フィルダー (DET)162 624 .261 44 133 0 78 151 .347 .513 右 OF ホゼ・カンセコ (OAK)154 572 .266 44 122 26 78 152 .359 .456 '90 右 1B セシル・フィルダー (DET)159 573 .277 51 132 0 90 182 .377 .592 ●参考記録 '97 右 1B マーク・マグワイア (STL)156 540 .274 58 123 3 101 159 .393 .646(OAK→STL) '96 左 OF ブラディ・アンダーソン (BAL)149 579 .297 50 110 21 76 106 .396 .637 '94 右 1B フランク・トーマス (CWS)113 399 .353 38 101 2 109 61 .487 .729 '93 左 OF ケン・グリフィーJr (SEA)156 582 .309 45 109 17 96 91 .408 .617 '92 左 1B マーク・マグワイア (OAK)139 467 .268 42 104 0 90 105 .385 .585
グリフィーJrの、セーフコ移転前の本拠地キングドームは完全な打者有利の球場で、彼の本塁打数をしばしば助けていた、とはよく言われている。99年途中に移転したが、シーズンのほぼ全てでその。それでも、この時代を代表する長距離砲が彼だったことは事実である。実力的には、一時期、アルバート・ベルもほぼ同格の高いレベルを持っていた、とは言われるが、彼よりは球場に恵まれなかった、とは言える。
マグワイアも97年シーズン中にリーグをまたいで移籍したが、事実上ア・ナを合わせて4回の本塁打王と言っていい質の成績を残している(実際は3回)。ただし、ステロイド疑惑がややその名声を傷つけている。この点はカンセコも同様だ。
細身の「打点製造機」ホワン・ゴンザレスは疑惑が薄い。ただし、満身創痍 度ではたいして変わらなかったが、どちらかと言うと、この時代の彼より、90年代終盤の「試合数を上回る打点を稼ぐ男」として有名。それでも、MLBで5本の指に数えられたパワーの持ち主であった。フィルダーは、日本にいて成長したと有名な選手だろうと思う。
一方、この時代のア・リーグを代表する打者であるもう1人の打者フランク・トーマスは本塁打王は一度も無し。当時は本拠地が打者不利と言われたのも多少は関連性があるかもしれない。96年のブラディ・アンダーソンは「1番打者の50発」として、本塁打の歴史としては非常に著名。この年だけ突発的に打ち込んだ選手である。
★1980年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '89 左 1B フレッド・マグリフ (TOR)161 551 .269 36 92 7 119 132 .399 .525(初) '88 右 OF ホゼ・カンセコ (OAK)158 610 .307 42 124 40 78 128 .391 .569(初) '87 右 1B マーク・マグワイア (OAK)151 557 .289 49 118 1 71 131 .370 .618 '86 右 OF ジェシー・バーフィールド(TOR)158 589 .289 40 108 8 69 146 .368 .559(初) '85 左 1B ダレル・エバンス (DET)151 505 .248 40 94 0 85 85 .356 .519 '84 右 OF トニー・アーマス (BOS)145 603 .300 43 123 1 32 156 .300 .531(初) '83 右 OF ジム・ライス (BOS)155 626 .305 39 126 0 52 102 .361 .550(5年ぶり3度目) '82 左 OF レジー・ジャクソン (CAL)153 530 .275 39 101 4 85 156 .375 .532(2年ぶり2度目) 右 OF ゴーマン・トーマス (MIL)158 567 .245 39 112 3 84 143 .343 .506 '81 右 2B ボビー・グリッチ (CAL)100 352 .304 22 61 2 40 71 .378 .543(初) 右 OF ドワイト・エバンス (BOS)108 412 .296 22 71 3 85 85 .415 .522(初) 両 1B エディー・マレー (BAL) 99 378 .294 22 78 2 40 43 .360 .534 右 OF トニー・アーマス (OAK)109 440 .261 22 76 5 19 115 .294 .480 '80 左 OF ベン・オグリビー (MIL)156 592 .304 41 118 11 54 71 .362 .562(初) 左 OF レジー・ジャクソン (NYY)143 514 .300 41 111 1 83 122 .398 .597(初)
手首は、ゴルフのスイングでどのように解放しない
81年の、4人が本塁打王、という事態は、本塁打王が1桁で争っていた次代にもなかった新記録であったが、レベル的には低い成績でもあった。この時代を代表する長距離砲、と言える存在は、MLBにはあまりなく、どちらかと言えば、ウェイド・ボッグスやカル・リプケンのような、アベレージヒッターやオールラウンダーの方が目立った時代でもあった。この時代はやや打者不利の時代でもあり、本数も伸び悩んだ。煌びやかなホームランバッターが活躍するのは、1990年代になってからである。
★1980年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '79 右 OF ゴーマン・トーマス (MIL)156 557 .244 45 123 1 98 175 .356 .539 '78 右 OF ジム・ライス (BOS)163 677 .315 46 139 7 58 126 .370 .600 '77 右 OF ジム・ライス (BOS)153 581 .320 39 114 5 53 120 .376 .593 '76 左 3B クレイグ・ネトルス (NYY)158 583 .254 32 93 11 62 94 .327 .475 '75 左 OF レジー・ジャクソン (OAK)157 593 .253 36 104 17 67 133 .329 .511 右 1B ジョージ・スコット (MIL)158 617 .285 36 109 6 51 97 .341 .515 '74 右 1B ディック・アレン (CWS)128 462 .301 32 88 7 57 89 .375 .563 '73 左 OF レジー・ジャクソン (OAK)151 539 .293 32 117 22 76 111 .383 .531 '72 右 1B ディック・アレン (CWS)148 506 .308 37 113 19 99 126 .420 .603 '71 右 3B ビル・メルトン (CWS)150 543 .269 33 86 3 61 87 .352 .492 '70 右 OF フランク・ハワード (WSA)161 566 .283 44 126 1 132 125 .416 .546
この時代の本塁打王獲得者で、有名な選手はレジー・ジャクソンか。ご存知、三振の史上1位ではあるが、ヤンキースで「ミスター・オクトーバー」と言われた勝負強い男である。次点はジム・ライスだろう。ボストン史上でも上位の強打者に数えられる名選手である。ただ、併殺の多さも有名で、84年に36度の併殺を喫したが、これは史上1位である。
ディック・アレンは電球を取り替えるときに故障したり、精神的な問題は常にいわれていたらしいが、打撃はやはり一流。ジョージ・スコットはボストンでも人気だった好守の一塁手で、ゴールドグラブ8回。長打力はそこそこだったが、史上屈指の守備型一塁手。時々三塁を守っていなければ、キース・ヘルナンデスに迫る10回まで伸ばしていたはずだ、と言う声が強い。
日本が らみの選手も多い。グレイグ・ネトルスは、ヤンキース70年代の中心選手の1人。穴も大きかったが、優れた長打力と守備力を持つ優れた三塁手で、70年代、80年代の覇権に貢献している。兄は日本に来日したネトルス。メジャー通算382本塁打、フランク・ハワードは日本の太平洋でもプレーしたため、ご存知の方も多いだろう。日本に来た選手の中でも、史上でも最高クラスの実績を持っているが、はじめのゲームで背中を痛めて離脱、と言う説と、元々膝を痛めていたほうが大きいと言う説がある。真偽のほどは定かではないが、1試合しか出ずに去った、ダメ外国人選手として認定されている男である。
★1960年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '69 右 3B ハーモン・キルブリュー (MIN)162 555 .276 49 140 8 145 84 .427 .584 '68 右 OF フランク・ハワード (WSA)158 598 .274 44 106 0 54 141 .338 .552 '67 左 OF カール・ヤストレムスキー(BOS)161 579 .326 44 121 10 91 69 .418 .622 右 1B ハーモン・キルブリュー (MIN)163 547 .269 44 113 1 131 111 .408 .558 '66 右 OF フランク・ロビンソン (BAL)155 576 .316 49 122 8 87 90 .410 .637 '65 右 OF トニー・コリニアロ (BOS)138 521 .269 32 83 4 51 116 .338 .512 '64 右 OF ハーモン・キルブリュー (MIN)158 577 .270 49 111 0 93 135 .377 .548 '63 右 OF ハーモン・キルブリュー (MIN)142 515 .258 45 96 0 72 105 .349 .555 '62 右 OF ハーモン・キルブリュー (MIN)144 552 .243 48 126 1 106 142 .366 .545 '61 左 OF ロジャー・マリス (NYY)161 590 .269 61 142 0 94 67 .372 .620 '60 両 OF ミッキー・マントル (NYY)153 527 .275 40 94 14 111 125 .399 .558 '59 右 3B ハーモン・キルブリュー (MIN)153 546 .242 42 105 3 90 116 .354 .516 '58 両 OF ミッキー・マントル (NYY)150 519 .304 42 97 18 129 120 .443 .592 '56 両 OF ミッキー・マントル (NYY)150 533 .353 52 130 10 112 99 .464 .705 '55 両 OF ミッキー・マントル (NYY)147 517 .306 37 99 8 113 97 .431 .611 ●参考記録 '61 両 OF ミッキー・マントル (NYY)153 514 .317 54 128 12 126 112 .448 .687
ディップです
この時代の最強打者は、やはりミッキー・マントルだろう。史上最強のスイッチヒッター、と言われる彼は、やや大振りと言われることもあったが、凄まじい飛距離を放ち、ボールを待って四球を量産し、三冠王経験者、MVPにも3度輝いた大選手で、好守の選手でもある。ヤンキース史上でもトップを争えるほどの大選手で、オールセンチュリー・チームにも選出されている。
一方、ロジャー・マリスは、61年に突発的に好成績を残し、ベーブ・ルースを凌ぐ61発。人種問題も絡み「マントルのほうが素晴らしい」と言う声は高かった。マントルの方がいい打者だった事は間違いないし、確かにこの年だけの突発的な活躍であり、マントルが最後の2週間欠場した事や、マントルの方が4番で、条件的には悪かった事などが挙げられている 。ただ、この程度なら何処でもいつでもある事、と言える範囲だと思う。154試合で達成しなければならない、と言う事から参考記録扱いになったが、現状で、ロジャー・マリスの本塁打数にアシュタリスクは必要ない。
「最後の三冠王」カール・ヤストレムスキーは、本塁打王は1度だが、この年に3冠。3度の40発を放ったが、好打者タイプで、首位打者3度、ゴールドグラブ7度。ボストン史上でも屈指の好選手である。ハーモン・キルブリューは、好守共に大味だが、しかし、この時代を代表するホームランバッターであり、メジャー史上を見渡しても、本塁打数はトップ10からしばらく抜ける事はないだろう。温和で優しく、上下関係にも拘らないスターらしからぬ性格で知られ、ファンの人気は絶大。
フランク・ロビンソン� ��、3つの打撃タイトルを1度ずつだが、それを66年に全て集中させた選手としても有名で、黒人初の三冠王達成者。だが、黒人初の監督を経験した事が有名である。MVP2度、通算583本塁打と、息の長い選手でもあり、守備走塁にも定評のある、史上でも相当な好選手でもあった。
コリニアロは、むしろ悲劇のヒーローとして有名だ。新人王、ア・リーグ史上最若本塁打王、ア・リーグ史上最速100本塁打と、素晴らしいペースで本塁打を打ち、圧倒的な人気を持っていたが、目への死球で視力を大きく損ない、そこから1度はカムバックしたが、37歳、心臓病で死亡と言う、ツキのなさが有名なプレイヤーだ。
★1950年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '59 右 3B ハーモン・キルブリュー (MIN)153 546 .242 42 105 3 90 116 .354 .516 右 OF ロッキー・コラヴィト (CLE)154 588 .257 42 111 3 71 80 .348 .471 '58 両 OF ミッキー・マントル (NYY)150 519 .304 42 97 18 129 120 .443 .592 '57 右 OF ロイ・シーヴァース (WSH)152 572 .301 42 114 1 76 55 .388 .579 '56 両 OF ミッキー・マントル (NYY)150 533 .353 52 130 10 112 99 .464 .705 '55 両 OF ミッキー・マントル (NYY)147 517 .306 37 99 8 113 97 .431 .611 '54 左 OF ラリー・ドビー (CLE)153 577 .272 32 126 3 85 94 .364 .484 '53 右 3B アル・ローゼン (CLE)155 599 .336 43 145 8 85 48 .422 .613 '52 左 OF ラリー・ドビー (CLE)140 519 .276 32 104 5 90 111 .383 .541 '51 右 OF ガス・ザーニアル (PHA)143 571 .274 33 129 2 63 101 .345 .511 '50 右 3B アル・ローゼン (CLE)155 554 .287 37 116 5 100 72 .405 .543
まだテッド・ウィリアムズが健在だった時代であるが、時代の波はマントルやヨギ・ベラが中心となっていた時代でもある。この時代は本塁打と打率が割と相反する時代でもある。どちらかと言えば、投手優位の時代がここである。
ラリー・ドビーは、守備も良いといわれた好選手ではあったが、ジャッキー・ロビンソンに次ぎ、2番目にメジャーリーグでプレー、ア・リーグで初、と言う方が有名だろう。その後中日に来た事でも有名な選手で、殿堂入りを果たした選手である。
アル・ローゼンの53年の145打点は、三塁手最多打点、として今も残っているが、本人は野次に嫌気がさして早々に引退している。全体的に、ミッキー・マントルを除けば、本塁打王は地味な選手が多い。
★1940年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '49 左 OF テッド・ウィリアムズ (BOS)155 566 .343 43 159 1 162 48 .490 .650 '48 右 OF ジョー・ディマジオ (NYY)153 594 .320 39 155 1 67 30 .396 .598 '47 左 OF テッド・ウィリアムズ (BOS)156 528 .343 32 114 0 162 47 .499 .634 '46 右 1B ハンク・グリーンバーグ (DET)142 523 .277 44 127 5 80 88 .373 .604 '45 右 SS ヴァーン・スティーヴンス(SLB)149 571 .289 22 91 3 54 73 .357 .482 '44 左 1B ニック・エッテン (NYY)154 573 .293 22 91 4 97 29 .399 .466 '43 右 1B ルディ・ヨーク (DET)155 571 .271 34 118 5 84 88 .366 .527 '42 左 OF テッド・ウィリアムズ (BOS)150 522 .356 36 137 3 145 51 .499 .648 '41 左 OF テッド・ウィリアムズ (BOS)143 456 .406 37 120 2 147 27 .553 .735 '40 右 OF ハンク・グリーンバーグ (DET)148 573 .340 41 150 6 93 75 .433 .670
PSAの幼年期の肥満は、外で遊ぶ
この時代は、43年、44年、45年の3年間はひどくレベルの低い争いとなっている。これは、この時代を代表する強打者3枚、テッド・ウィリアムズ、ハンク・グリーンバーク、、ジョー・ディマジオが兵役などで出れなかったため、となっている。グリーンバークは41年から45年まで離脱、ウィリアムズ、ディマジオは43年から45年、それぞれ離脱しており、これは、この時代の選手たちの通算成績を大きく引き下げている。
テッド・ウィリアムズは、無愛想な性格だったため、マスコミ受けが悪かった選手であるが、それでもMVP2度。MLB史上でも1・2を争うと言われる好打者で、OPS1位に10度輝いており、マスコミ受けさえマトモであれば7〜8度は獲得していてもおかしくない、と言われる事もある。オールセンチュリー� ��チームに選出もされた、きわめて完全な打者の1人で、最後の4割、三冠王2度、打撃の神様。MLB史上で最強の打者の1人と目される。全盛期に兵役がなければ、彼のキャリアはより凄まじい事になっていた、とはよく言われる事だ。それでも、通算出塁率1位、長打率、OPS2位の座にはこのテッド・ウィリアムズが輝いている。
ハンク・グリーンバーグは、ユダヤ人のスターとしても有名だが、実績もトップクラス。ゲーリックの代わりになれると言われて、ヤンキース入りを断り、タイガースに入団した、と言う経緯は有名だが、その後の実績は圧倒的で、MVP2度、史上3位の183打点など、特に優れたラン・プロデューサーとして機能した。だが一方、人種差別に苦しんだ選手でもあり、38年はそれも一環となって、6 0本塁打更新には失敗している。
ジョー・ディマジオも有名な選手だ。マリリン・モンローと結婚した事でも有名な、ヤンキース史上でも相当な人気者で、MVP3度の名選手である。2度はウィリアムズが獲るべきだったかもしれないが、それでも、首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ2度獲ったスター。こちらもオールセンチュリー・チームに選出されている。
★1930年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '39 右 1B ジミー・フォックス (BOS)124 467 .360 35 105 4 89 72 .464 .694 '38 右 1B ハンク・グリーンバーグ (DET)155 556 .315 58 146 7 119 92 .438 .683 '37 右 OF ジョー・ディマジオ (NYY)151 621 .346 46 167 3 64 37 .412 .673 '36 左 1B ルー・ゲーリック (NYY)155 579 .354 49 152 3 130 46 .478 .696 '35 右 1B ハンク・グリーンバーグ (DET)154 594 .328 36 170 4 87 91 .436 .668 右 1B ジミー・フォックス (PHA)147 535 .346 36 115 6 114 99 .461 .636 '34 左 1B ルー・ゲーリック (NYY)154 579 .363 49 165 9 109 31 .465 .706 '33 右 1B ジミー・フォックス (PHA)149 573 .356 48 163 2 96 93 .449 .703 '32 右 1B ジミー・フォックス (PHA)154 585 .364 58 169 3 116 96 .469 .749 '31 左 OF ベーブ・ルース (NYY)145 534 .373 46 163 5 128 51 .495 .700 左 1B ルー・ゲーリック (NYY)155 619 .341 46 184 17 117 56 .446 .662 '30 左 OF ベーブ・ルース (NYY)145 518 .359 49 153 10 136 61 .493 .732 ●参考記録 '38 右 1B ジミー・フォックス (BOS)149 565 .349 50 175 5 119 76 .462 .704 '37 右 1B ハンク・グリーンバーグ (DET)154 594 .337 40 183 8 102 101 .436 .668
ルースの失堕後は、ルー・ゲーリックとジミー・フォックスを中心として争った時代であるが、当時はとにかく打者優位の時代で.350を超える打率を残しても、首位打者に立てない事など日常茶飯事であったと言える。この時代の一塁手トップ2、ゲーリック、フォックスは、そのままMLB史上最高の一塁手を争う2人である。
ジミー・フォックスは「右打ちのルース」と言われたほどの、凄まじいパワーを秘めた強打者で、MVP3度、三冠王を1度獲得している大選手である。酒で身を滅ぼしたと言われる選手でもあるが、その実績は圧倒的である。だが、一塁手としてはルー・ゲーリックのほうがはるかに有名だったため、目立たないと言う感もある。
成績的には互角だが、やや大振りのフォックスと比べ、ゲーリックはより完全な打者� �して知られ、オールセンチュリー・チームにも選ばれた、史上最高の一塁手として知られる。強打と技術、頑健さを兼ね備えた選手で、MVPは2度であるが、打点王5度。筋萎縮性側索硬化症がなければ、打点通算1位は彼のものだったかも、と言われるほどの選手で、ベーブ・ルースの後ろを打ち、パワーでは劣るが、より完璧な、より優れたラン・プロデューサー、と言う感覚の強い選手で、それ以降の4番打者像を作り上げたのは、このゲーリックだと言っていい。
★1920年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '29 左 OF ベーブ・ルース (NYY)135 499 .345 46 154 5 72 60 .430 .697 '28 左 OF ベーブ・ルース (NYY)154 536 .323 54 142 4 137 87 .463 .709 '27 左 OF ベーブ・ルース (NYY)151 540 .356 60 164 7 137 89 .486 .772 '26 左 OF ベーブ・ルース (NYY)152 495 .372 47 146 11 144 76 .516 .737 '25 右 OF ボブ・ミューゼル (NYY)156 624 .290 33 138 13 54 55 .348 .542 '24 左 OF ベーブ・ルース (NYY)153 529 .378 46 121 9 142 81 .513 .739 '23 左 OF ベーブ・ルース (NYY)152 522 .393 41 131 17 170 93 .545 .764 '22 左 OF ケン・ウィリアムズ (SLB)153 585 .332 39 155 37 74 31 .413 .627 '21 左 OF ベーブ・ルース (NYY)152 540 .378 59 171 17 145 81 .512 .846 '20 左 OF ベーブ・ルース (NYY)142 458 .376 54 137 14 150 80 .532 .847
この時代は、ベーブ・ルースの全盛期であり、本塁打王12回は、彼がいかに圧倒的な打者だったかを示している。スポーツは大抵、創世記の方が圧倒的に突出した選手が多い、と言うのは事実であるが、今後、この記録が破られる可能性は、極めて低い。この時期にはメジャー記録を連発している。彼の全盛期は21年で、59本塁打は当時のメジャー記録。119長打は、現在でも燦然と輝いているメジャー記録である。おそらく、クアーズ・フィールド絡みでない限りは更新は難しいだろう。その他も、長打率.847、170四球は2001年まで、OPSの1.379は、2002年まで、いずれもバリー・ボンズによって更新されるまで生き延びた記録である。
黒人選手をまだ拒否していた時代だった、などのマイナスもあるが、史上最高の選手の1人に数えられる右翼 手で、オールセンチュリー・チームにも選ばれている。酒や大食いで体調管理の上手くない精神的に問題のある選手、と言う声もあるが、それさえなければ、どこまで成績を伸ばしたのか、と言う声もあるほどだ。
★1910年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '19 左 OF ベーブ・ルース (BOS)130 432 .322 29 114 7 101 58 .456 .657 '18 左 OF ベーブ・ルース (BOS) 95 317 .300 11 66 6 58 58 .411 .555 右 OF ティリー・ウォーカー (PHA)114 414 .295 11 48 8 41 44 .360 .423 '17 左 1B ウォーリー・ピップ (NYY)155 587 .244 9 70 11 60 66 .320 .380 '16 左 1B ウォーリー・ピップ (NYY)151 545 .262 12 93 16 54 82 .331 .417 '15 右 1B ブラジオ・ロス (CLE)109 384 .268 7 55 26 51 72 .361 .438(←CHW) '14 左 3B フランク・ベイカー (PHA)150 570 .319 9 89 19 53 37 .380 .442 '13 左 3B フランク・ベイカー (PHA)149 564 .337 12 117 34 63 31 .413 .493 '12 左 3B フランク・ベイカー (PHA)149 577 .347 10 130 40 50 --- .404 .541 左 OF トリス・スピーカー (BOS)153 580 .383 10 90 52 82 --- .464 .567 '11 左 3B フランク・ベイカー (PHA)148 592 .334 11 115 38 40 --- .379 .508 '10 右 1B ジェイク・スタール (BOS)144 531 .271 10 77 22 42 --- .334 .424
著名な選手はトリス・スピーカー。パワーヒッターと言うよりはラインドライブヒッターで、通算二塁打1位が光る典型的な中距離打者。アベレージも残して守備力も高く、この時代を代表する選手の1人である。一方、フランク・ベイカーはこの時代の代表的な強打者だ。
★1900年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '09 左 OF タイ・カッブ (DET)156 573 .377 9 107 76 48 --- .431 .517(初-END) '08 左 OF サム・クロフォード (DET)152 591 .311 7 80 15 37 --- .355 .457(7年ぶり2度目-END) '07 右 1B ハリー・デイビス (PHA)149 582 .266 8 87 20 42 --- .318 .395(4年連続4度目-END) '06 右 1B ハリー・デイビス (PHA)145 551 .292 12 96 23 49 --- .355 .459(3年連続3度目) '05 右 1B ハリー・デイビス (PHA)150 607 .285 8 83 36 43 --- .334 .422(2年連続2度目) '04 右 1B ハリー・デイビス (PHA)102 404 .309 10 62 12 23 --- .350 .490(初) '03 左 OF バック・フリーマン (BOS)141 567 .287 13 104 5 30 --- .328 .496(4年ぶり2度目-END) '02 右 OF ソックス・セイボルド (PHA)137 522 .316 16 97 6 43 --- .375 .506(初-END) '01 右 2B ナップ・ラジョイ (PHA)131 433 .426 14 125 27 24 --- .463 .643(初-END)
タイ・カッブは、これが唯一の本塁打王で、この年に三冠王を達成している。この時、盗塁王までも同時に獲得している稀有な選手である。非常に努力家だが、性格が非常に悪い事で知られ、そのためかMVPはわずか1度。本塁打を忌み嫌っている選手だが、マスコミに今日は一発を狙うと宣言した試合で3発を打つなど、ある程度パワーもあったと言われる。首位打者12度、通算打率1位(.366)など、アベレージだけの選手ではなかった事を示すエピソードではある。史上最高の選手の1人に数えられる「球聖」で、オールセンチュリー・チームにも選出された。
その他ではハリー・デイビスが数少ない4年連続本塁打王を達成。この時代を代表する長距離砲だ。サム・クロフォードは、そこそこパワーもあったが、史上最多三塁打の記録� �持者としてのほうが有名な選手だろう。ナップ・ラジョイは数少ない二塁の本塁打王。アベレージ型の選手で、タイ・カッブとの醜い首位打者争い(カッブが1位になるために試合を休み、ラジョイがバントを連発)も有名だが、この時代ではそれなりのパワーもあり、この年3冠を達成、二塁守備も抜群で、1900年代最高打率を残し、最高の二塁手の一角と言われる。
★1890、1880年代
TEAM G A AVG HR RBI SB BB SO OBP SLG '92 右 OF バグ・ホリディ (CIN)152 602 .292 13 91 43 57 39 .355 .449(3年ぶり2度目-END) '91 両 3B デューク・ファレル (BOS)122 473 .302 12 110 21 59 48 .384 .474(初-END) '90 左 1B カウント・キャンプ (STL) 75 314 .322 9 75 36 26 --- .374 .513(初-END) '89 右 OF ハーリー・ストーベイ (PHA)137 556 .308 19 119 63 77 68 .393 .525(4年ぶり4度目) '88 右 1B ジョン・レイリー (CIN)127 527 .321 13 103 82 17 --- .363 .501(4年ぶり2度目-END) '87 右 OF チップ・オニール (STL)124 517 .435 14 123 30 50 --- .490 .691(初-END) '86 右 2B ビッド・マクフィー (CIN)140 560 .268 8 70 40 59 --- .343 .395(初-END) '85 右 1B ハーリー・ストーベイ (PHA)112 486 .315 13 75 0 39 --- .371 .488(2年ぶり3度目) '84 右 1B ジョン・レイリー (CIN)105 448 .339 11 91 0 9 --- .325 .485(初) '83 右 1B ハーリー・ストーベイ (PHA) 94 421 .304 14 66 0 27 --- .346 .506(3年ぶり2度目) '82 左 1B オスカー・ウォーカー (STL) 76 318 .239 7 --- 0 10 --- .262 .396(初-END)
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