<新たな多数派の思想の形成をめざす100人委員会>
先ごろロンドンで開催された世界20カ国・地域(G20)の金融サミットでは、各国が協調して2010年末までに計5兆ドル(約500兆円)の財政出動をすることが決められた。500兆円・・・目まいがするほどの多大な金額だが、これで世界同時不況は克服されるのだろうか。
国内でも定額給付金が支給され始め、高速道路料金が大幅に値下げになった。政府は景気浮揚のために、いろいろな策を講じて大盤振る舞いをしている。景気を良くしてくれるのはありがたいが、ちょっと心配にもなる。
ここまで巨額のお金をつぎ込んで、日本の景気は回復するのだろうか。ある程度は良くなるかもしれない、しかし、これで根本的な解決になるとは誰も思っていないだろう。国民は経済学者ではないから、金融や経済の仕組みに通暁しているわけではないけれど、経済が際限もなく拡大再生産を続けていくのはそろそろ無理なのではないかと、うすうす感じているようだ。何十年か後には今よりももっと深刻な恐慌が到来する不安も感じている。
今年の2月、群馬県上野村に暮らす哲学者で、本誌編集委員の内山節さんからメールが届いた。
「ご無沙汰しております。内山節です。現在『新たな多数派の思想の形成をめざす100人委員会』という新しい集まりをもとうと考え、この3月1日に最初の会合を計画しております。昨 年夏に上野村で『新たな多数派の形成をめざす上野村シンポジウム』を開催しましたが、添付いたしました『趣意書』のように、新しい時代を創る思想をつくりだそう、というような会です。世界が行き詰まりをみせるなか、少し元気に動きたいと思っています。お時間がありましたらご参加いただければ幸いです」というものであった。
昨年の夏開催された群馬県上野村のシンポジウムについては、本誌126号で報告したが、あの時点ではまだ恐慌は起きていなかった。あの後にリーマン・ブラザーズが破綻し、株価が下落し、自動車メーカーの極度の販売不振を手始めに、あらゆる製造業の生産が減少し、消費が鈍り、失業者が続出した。
内山さんの趣意書は、左記のようなものだった。
「『これまでの延長線上に未来はな� ��』。いま私たちはこんな時代を迎えているような気がします。現代世界は自然と人間の等身大の世界にこそ大事なものがあるのだということを忘れてきました。すべてが商品化され、ついには貨幣が駆けめぐりながら貨幣を増殖していくなかに経済が展開する時代が生まれました。私たちはその破綻から何を導き出したらよいのでしょうか。
等身大の世界に戻る。等身大の世界をつなぐ。そのことによって生命の活動が感じられる世界をつくりなおす。私たちはこのことから出発し直さなければならないような気がします。自然の力、人々の労働の力、地域の力、そしてそれらが結びあうとき生まれる力。ここにこそ私たちの社会がつくられていると実感できる等身大の世界を創ることが、私たちの課題になっているのです。
とす� ��と、どうすればよいのか。『新たな多数派の思想の形成をめざす100人委員会』はこの課題に向かって歩む人々の場でありたいと思っています。活動の場は、参加された人々のそれぞれの時空です。『100人委員会』はいわゆる組織をめざしてはいません。それぞれの時空で活動し、その成果を持ち合い、学び合い、再びそれぞれの時空で活動する。そんな結びあう場でありたいと思っています。
100人を超えたら『200人委員会』に。200人を超えたら『300人委員会』へ。そうやってシステムに振り回されない世界を広げていくことが、私たちの目標です。誰でも参加でき、『組織』に対する義務も権利も発生しない。もしも義務や権利が生まれるとするなら、それはそれぞれの人々が活動する時空においてだけ。私たちはそんな『委員会』を 創りたいと思います」
3月1日、会場となった東京・中央区の「銀座会議室三丁目」には、100人を超える人たちが集まった。
内山節さんが「100委員会」を発足させた真意は、『怯えの時代』(新潮選書)に詳しいが、われわれはこの平成の大恐慌の時代をどう生きたらいいのか、内山さんに語ってもらった。
田舎でも牧歌的な暮らしができなくなった
――「100人委員会」には、北は北海道から南は長崎県の五島列島まで、100人を超える人が参加していました。農林漁業、企業経営者、会社員、公務員、ジャーナリスト、NPOスタッフ、映画監督、陶芸家、フリーライターなど多種多様な職業の方がいました。一人1分しか発言する時間がなかったにもかかわらず、参加者の方々は、このままでは将来に希望の持てる社会は築けない、何とかしなければという思いを表明していました。お金に翻弄される社会を変革し、もっと自由に伸び伸びと暮らしたいという熱い思いであふれていました。先生ご自身で呼び掛けて、この集まりを企画した理由は何だったのでしょうか。
内山 上野村で暮らしていれば、世� �がどうなろうとも知ったことじゃないという気分でいられるわけです。村人たちがそこそこに生きていけて、僕のほうは、春になれば葉を伸ばしてくる木々を見て、川に行って釣りをしていればいい。あとは楽しく村の人たちと交わりながら、生きていけばいいと思っていました。いろいろ問題があっても、まあまあやっていけるのなら、それでいいと思っていたのですが、ところが小泉改革以降、まあまあやっていけなくなってしまった。
最近は、村にいても世界を見ていなければ、牧歌的に生きることができなくなったということです。経済の変化が村にも影響を与えるということは昔からありました。上野村であれば、主要産業の生糸とか、和紙だとか、コンニャクだとか、次々に駄目になっていったわけですが、これはグローバルな経済の変化の中で衰退していったわけで、村の人たちが怠惰になったから駄目になったとか、そういう話ではないわけです。だから、前からあったのだけれど、そういう変化がここに来て激しく出てきて、村人はこのまま村に住み続けられるのかという不安を感じるところまできてしまった。
多くの日本人は、株なんか一株も持っていないし、外貨預金もしていない。だから、その人たちからすれば、為替が変動しようが、� �が上がろうが下がろうが、関係ないはずです。ところが、一株も持っていない人たちが、いちばん影響を受けてしまう。それが巡り巡って、派遣切りみたいな問題が生じてしまう。単に経済が破綻したというだけの話だったら、僕は経済にそれほどの関心は持てなかったと思うのですが、金融や経済の世界とは本来何の関係もない普通の生き方をしていた人たちが、激しくダメージを受けている。そうなると、この問題と真正面から向き合わざるを得ないという気持ちになりました。
――昨年の夏、「上野村シンポジウム」の時はまだ金融破綻は起きていなかったのですが、あの時すでに参加者の人たちは、このままではやっていけない、何かが間違っている、根本的に考え直さなければいけないと考えていたと思います。
内山 あの集まりは、苦しい思いをしている人たちだけが集まって愚痴に毛の生えたような話をするのではなく、もうちょっと構造的に何かを始めている人たちと話し合ってみたいということがありました。いろいろと新しい取り組みをしている人たちの中には、将来の可能性を示唆しているような例もあると思います。いろいろな試みの中には失敗だったという話も出てくると思いますが、それは、それでいいわけです。人間のやることは百発百中なんてないわけだから。た だ、いろいろなものが出てくることによって、いろいろなやり方が見えてくる。基本的には、新しい土台が少しできてきたかなという感じがあるので、そういう人たちと一緒にネットワークを組んでみようか、と考えたわけです。