2012年5月31日木曜日

かがり火 129号


 <新たな多数派の思想の形成をめざす100人委員会>
先ごろロンドンで開催された世界20カ国・地域(G20)の金融サミットでは、各国が協調して2010年末までに計5兆ドル(約500兆円)の財政出動をすることが決められた。500兆円・・・目まいがするほどの多大な金額だが、これで世界同時不況は克服されるのだろうか。
国内でも定額給付金が支給され始め、高速道路料金が大幅に値下げになった。政府は景気浮揚のために、いろいろな策を講じて大盤振る舞いをしている。景気を良くしてくれるのはありがたいが、ちょっと心配にもなる。

 ここまで巨額のお金をつぎ込んで、日本の景気は回復するのだろうか。ある程度は良くなるかもしれない、しかし、これで根本的な解決になるとは誰も思っていないだろう。国民は経済学者ではないから、金融や経済の仕組みに通暁しているわけではないけれど、経済が際限もなく拡大再生産を続けていくのはそろそろ無理なのではないかと、うすうす感じているようだ。何十年か後には今よりももっと深刻な恐慌が到来する不安も感じている。
 今年の2月、群馬県上野村に暮らす哲学者で、本誌編集委員の内山節さんからメールが届いた。
「ご無沙汰しております。内山節です。現在『新たな多数派の思想の形成をめざす100人委員会』という新しい集まりをもとうと考え、この3月1日に最初の会合を計画しております。昨 年夏に上野村で『新たな多数派の形成をめざす上野村シンポジウム』を開催しましたが、添付いたしました『趣意書』のように、新しい時代を創る思想をつくりだそう、というような会です。世界が行き詰まりをみせるなか、少し元気に動きたいと思っています。お時間がありましたらご参加いただければ幸いです」というものであった。
 昨年の夏開催された群馬県上野村のシンポジウムについては、本誌126号で報告したが、あの時点ではまだ恐慌は起きていなかった。あの後にリーマン・ブラザーズが破綻し、株価が下落し、自動車メーカーの極度の販売不振を手始めに、あらゆる製造業の生産が減少し、消費が鈍り、失業者が続出した。
内山さんの趣意書は、左記のようなものだった。
「『これまでの延長線上に未来はな� ��』。いま私たちはこんな時代を迎えているような気がします。現代世界は自然と人間の等身大の世界にこそ大事なものがあるのだということを忘れてきました。すべてが商品化され、ついには貨幣が駆けめぐりながら貨幣を増殖していくなかに経済が展開する時代が生まれました。私たちはその破綻から何を導き出したらよいのでしょうか。
等身大の世界に戻る。等身大の世界をつなぐ。そのことによって生命の活動が感じられる世界をつくりなおす。私たちはこのことから出発し直さなければならないような気がします。自然の力、人々の労働の力、地域の力、そしてそれらが結びあうとき生まれる力。ここにこそ私たちの社会がつくられていると実感できる等身大の世界を創ることが、私たちの課題になっているのです。
とす� ��と、どうすればよいのか。『新たな多数派の思想の形成をめざす100人委員会』はこの課題に向かって歩む人々の場でありたいと思っています。活動の場は、参加された人々のそれぞれの時空です。『100人委員会』はいわゆる組織をめざしてはいません。それぞれの時空で活動し、その成果を持ち合い、学び合い、再びそれぞれの時空で活動する。そんな結びあう場でありたいと思っています。
100人を超えたら『200人委員会』に。200人を超えたら『300人委員会』へ。そうやってシステムに振り回されない世界を広げていくことが、私たちの目標です。誰でも参加でき、『組織』に対する義務も権利も発生しない。もしも義務や権利が生まれるとするなら、それはそれぞれの人々が活動する時空においてだけ。私たちはそんな『委員会』を 創りたいと思います」
 3月1日、会場となった東京・中央区の「銀座会議室三丁目」には、100人を超える人たちが集まった。
 内山節さんが「100委員会」を発足させた真意は、『怯えの時代』(新潮選書)に詳しいが、われわれはこの平成の大恐慌の時代をどう生きたらいいのか、内山さんに語ってもらった。

 田舎でも牧歌的な暮らしができなくなった
――「100人委員会」には、北は北海道から南は長崎県の五島列島まで、100人を超える人が参加していました。農林漁業、企業経営者、会社員、公務員、ジャーナリスト、NPOスタッフ、映画監督、陶芸家、フリーライターなど多種多様な職業の方がいました。一人1分しか発言する時間がなかったにもかかわらず、参加者の方々は、このままでは将来に希望の持てる社会は築けない、何とかしなければという思いを表明していました。お金に翻弄される社会を変革し、もっと自由に伸び伸びと暮らしたいという熱い思いであふれていました。先生ご自身で呼び掛けて、この集まりを企画した理由は何だったのでしょうか。
内山 上野村で暮らしていれば、世� �がどうなろうとも知ったことじゃないという気分でいられるわけです。村人たちがそこそこに生きていけて、僕のほうは、春になれば葉を伸ばしてくる木々を見て、川に行って釣りをしていればいい。あとは楽しく村の人たちと交わりながら、生きていけばいいと思っていました。いろいろ問題があっても、まあまあやっていけるのなら、それでいいと思っていたのですが、ところが小泉改革以降、まあまあやっていけなくなってしまった。
  最近は、村にいても世界を見ていなければ、牧歌的に生きることができなくなったということです。経済の変化が村にも影響を与えるということは昔からありました。上野村であれば、主要産業の生糸とか、和紙だとか、コンニャクだとか、次々に駄目になっていったわけですが、これはグローバルな経済の変化の中で衰退していったわけで、村の人たちが怠惰になったから駄目になったとか、そういう話ではないわけです。だから、前からあったのだけれど、そういう変化がここに来て激しく出てきて、村人はこのまま村に住み続けられるのかという不安を感じるところまできてしまった。
多くの日本人は、株なんか一株も持っていないし、外貨預金もしていない。だから、その人たちからすれば、為替が変動しようが、� �が上がろうが下がろうが、関係ないはずです。ところが、一株も持っていない人たちが、いちばん影響を受けてしまう。それが巡り巡って、派遣切りみたいな問題が生じてしまう。単に経済が破綻したというだけの話だったら、僕は経済にそれほどの関心は持てなかったと思うのですが、金融や経済の世界とは本来何の関係もない普通の生き方をしていた人たちが、激しくダメージを受けている。そうなると、この問題と真正面から向き合わざるを得ないという気持ちになりました。

――昨年の夏、「上野村シンポジウム」の時はまだ金融破綻は起きていなかったのですが、あの時すでに参加者の人たちは、このままではやっていけない、何かが間違っている、根本的に考え直さなければいけないと考えていたと思います。
内山 あの集まりは、苦しい思いをしている人たちだけが集まって愚痴に毛の生えたような話をするのではなく、もうちょっと構造的に何かを始めている人たちと話し合ってみたいということがありました。いろいろと新しい取り組みをしている人たちの中には、将来の可能性を示唆しているような例もあると思います。いろいろな試みの中には失敗だったという話も出てくると思いますが、それは、それでいいわけです。人間のやることは百発百中なんてないわけだから。た だ、いろいろなものが出てくることによって、いろいろなやり方が見えてくる。基本的には、新しい土台が少しできてきたかなという感じがあるので、そういう人たちと一緒にネットワークを組んでみようか、と考えたわけです。


ものがばらばらに

――哲学者は書斎の中で沈思黙考しているというイメージですが、書斎を出て街に出て発言しなければいけないと思ったということですか。
内山 少なくとも、かつていろいろなことを書いたり語ってきた人間には、ある種の責任というものがあるように思います。この状況について何も語らないというのは、やはり無責任だと思うのです。
 もう一つは、この数年、痛切に感じているのだけれど、気が付いてみると、僕の周りにいる人たちというのは、みんな強者ばかりになっていました。強者というのは、いろいろな基準があって、社会的地位が高い強者もいるかもしれないし、金があるという強者がいるかもしれない。社会的地位もないし金もないけれど、精神的強者という人もいるわけです。しかし、� �間には本当に明らかな社会的な弱者がいます。まさに派遣とか、フリーターになって働いていて、すぐに切られてしまう人たちがいるわけです。収入的にも明らかに弱者で、いつも踏みつけられる側にいる人たち、それを強く感じたのが、あの秋葉原の事件です。そういう弱者というのが、ここ数年かなりはっきり見えてきました。そういう状況にあって、強者の側にいる人間は強者の自覚を持って、強者の責任を取るべきだというふうに思ったわけです。それで、もう少し行動的にいこうかということです。

――今度の金融破綻については、多くの経済学者やエコノミストが分析していますが、先生は、今度の大恐慌は、単に金融政策の失敗ではなくて、ドル体制とアメリカを軸とする軍事・政治・経済が一体化した体制の破綻で� �るという見方をされていますね。
内山 第二次大戦後、世界はアメリカの突出した経済力、軍事力、政治力、そして基軸通貨たるドルを中心に回ってきたと思います。ところが1960年代の後半から日本もヨーロッパもかなり経済力を持ち始めて、アメリカの強い経済力に陰りが出てきて、基軸通貨としてのドルが弱くなってしまいました。そのためにどうしたかというと、金との兌換性の停止と変動相場制の導入です。日本からみれば1ドル360円の終焉です。ドル安によってアメリカは国際競争力を強化しようとしたわけです。それでも相対的にアメリカの経済力は低下していきます。
資本主義は経済発展を続け、拡大再生産しなければ自己崩壊する性質を持っていますから、アメリカがドルを基軸通貨として維持しよう� ��すれば、経済拡大を続けなければなりません。ドルはアメリカで発行する通貨ですから、いくらでも増大させることができるわけですが、ただ単にドルを印刷して増やすだけならインフレを招いてしまう。そこで、印刷されたドルが各国で保有され、最終的にアメリカに還流される仕組みをつくればいいと考えたわけです。1980年代になると各国の企業がアメリカの企業や土地を購入しましたが、もう一つ広がったのが、各国の金融機関がアメリカの国債を買う動きでした。ところが1990年代になると、この動きにも限界が見えてきて、その結果、アメリカが生み出した手法は債券を販売することだったのです。国債や株券を海外に売るのも債券販売ですが、このころからありとあらゆるものが証券化され、債券化されて販売されたのです。 その一つが、今回のサブプライムローンだったのです。

――金融破綻の根は深く、資本主義の根本的な矛盾を抱えていたということだと思いますが、それにしてもこのサブプライムローンというのはノーベル賞ものですね。もちろん、人間をばかにした悪だくみという意味においてですが、まさに天才的な合法的詐欺と思いました。
内山 これまでの資本主義では、貧乏人はほとんど重要な存在ではなかった。購買力を持っていないから、市場では大事なお客さんではないし、経済的な信用力も低いから、お金を貸す対象でもありません。せいぜい低価格商品のマーケットくらいだったのです。ところが、この貧乏人を金の成る木に変える方法がサブプライムローンだったのです。
 このローンは、低所得者に高金利のローンを組ませるための仕組みでした。まず、� �ーンを組ませるために家を買わせる。ただし、高金利ではたちまち返済に行き詰まってしまうことが目に見えているから、最初の3年程度は返済可能な低い金額で済むようになっています。ローンを組ませた金融機関も、通常の住宅ローンのように金利で利益を得ようと最初から考えているわけではありません。ローンを組ませたら、その債権を債券という商品に変えて販売してしまう。この時点で利益は確定するんです。次に、この債券を買った人は、他の債券と一緒にして分割し、また販売してしまう。この債券が最終的に焦げ付かないためには住宅価格が永遠に上昇しなければなりませんが、そんなことはあるわけがありません。サブプライムローンはこのような債券をつくり出す仕組みだったのです。これは低所得者を債券化し、� �品化する方法だったのです。"貧乏を商品化"した資本主義の「偉大なる勝利」であり、資本主義の愚かさの象徴でもあると思います。


高い滝ロチェスターニューヨークの中心

「温かいお金」の使える社会でありたい
―資本主義は拡大再生産が宿命づけられたシステムのようですが、石油をはじめあらゆる資源が枯渇していく中で、これからも拡大再生産が可能なのでしょうか。
内山 18世紀から19世紀に活躍したイギリスの経済学者にマルサスという人がいます。この人は『人口論』という本の中で、世界はいずれ食料危機に陥る、地球の耕作可能面積は限られており、新しい開拓や干拓が行われても、農業生産力はいずれ限界に達するだろうと言っています。マルサスが人口と食料の関係を通して問題にしたのは、「自然の有限性」ということです。自然は無限には存在しない。とすれば、人口が増え続ければ自然の有限性は農地不足というかたちで現れると言っていま� �。この問題は農業だけにとどまりません。資本主義は、拡大再生産を続けることが正常な姿とされる生産様式です。とすれば、資源としての自然も無限でなければいけない。ところが地球自体は拡大しませんから、矛盾が起きる。この問題に対するほとんどの経済学者たちの対応は、自然は無限に存在するものとして仮定する、ということでした。後からどんな破綻が来るかは考えず、とりあえず視野から外してしまったのです。
 
――その矛盾の一つが噴き出したのが、今回の恐慌でもあるわけですね。暗黒の木曜日といわれた昭和の大恐慌は1929年ですが、本当に深刻になったのは3年ぐらい後だということです。今、各国は巨額の財政出動をしていますが、これで日本の経済は良くなるのか、それとももっとひどくなるのでし� ��うか。
内山 経済予測は私の専門ではないですけれど、私は決して良くならないと思っています。その最大の理由というのは、この事態を回復しようとすると、もう一度バブルを起こすしかないでしょう。今やっている政策というのは、実はもう一度バブルを起こす政策なんですね。つまり、各国の中央銀行がジャブジャブ金を出している。アメリカなんかもジャブジャブ金を出している。バブル再来を狙っているというやり方なわけです。だけど、もう一度バブルを起こすと、今度はもっと短期的にまたバブル崩壊が起こるということになっていくわけで、実は打つ手がなくなっているというのが本当だと思います。
例えば、自動車会社に対して、国がお金を入れないとどうなるか、自滅していくわけです。自動車� �業の場合、どこの国でもすそ野が広いから、相当多くの失業者を出すことになってしまう。国が自動車会社にお金を入れた場合どうなるか。これが1兆円、2兆円の話ならいいけれど、半ば永久的に入れなければいけないのではないかというぐらい、どんどん膨らんでしまう。そのお金の手当ての手段がないわけです。国債の乱発しかない。だけれど、乱発した国債なんか買い手が付かないですから、結局、中央銀行が買い取るしかないわけです。
 大量国債で、中央銀行が買い取るということになっていくと、それに払う利子の問題が今度は国側には出てくるわけで、場合によったら、無利子国債で出すということになるかもしれない。日本でも、政府紙幣を出したらどうだという議論がありましたけれど、あれも一種の無利子国債� ��同じことです。
 それから、無利子国債まで出すかどうかは別として、国債を大増発せざるを得ないことだけは間違いなくて、それは買い手が付かなくなるから、そのかなりを中央銀行が買わなくてはいけない。そうすると、どうしてもインフレが起きます。だから、バブルの前にインフレが起きてしまう心配もあります。
 その場合、ハイパーインフレ化する可能性が強い。そうすると、年金生活者なんかいっぺんに参ってしまいます。今はデフレ警戒みたいになっているけれど、これだけ各国が財政支出をしてしまうと、インフレ警戒を、相当に見ていかなければいけない、ということでしょうね。

――昭和の恐慌の時は、まだ人と人の結びつきがあり、助け合う精神があったので、今回ほど深刻ではなかったと、先生は 指摘されていますね。
内山 本当はこれが重大なことだけれど、結局、人間がこれほどバラバラになっている状態で、経済恐慌が起きた経験がないということです。昭和恐慌の時代なら、絶対に派遣村は生まれなかったと思います。あのころならば、今と同じような状況に陥った人たちが出てきても、失業した人をまず兄弟か、親類のおじさんとか、おばさんが呼んでくれる。当時だと、困っているのはお互いさまとか言いながら、助け合う関係があったと思います。例えば、親類にそば屋をやっている人がいたとすると、失業した人に俺の家を手伝ってくれないかといって働いてもらう。その家も人手が欲しいわけではないのだけれども、無理して雇ってくれたと思います。雇われた人はそのことが分かっているから、そ の間に一生懸命に仕事を探しながら、出直しを図る。そういうかたちで一時しのぎができていました。今は、それが全くできないから、切られた瞬間に、もうホームレスしかないみたいになるわけでしょう。
 こういう状況で危機が続くと、本格的に深刻になってしまう。だから、国は失業保険を3年ぐらい出すとか、生活保護を受けやすいようにするとか、そんな手を打たなければいけなくなる。
 そうなってくると、内戦化する社会が出てくると僕は見ていて、アメリカの場合は、治安が極端に悪いという状況に進行してしまうだろうと思います。中国なんか、この危機が長引けば本当に内戦が起きて、独立運動が起こるかもしれない。世界のいろいろなところで、社会劣化がどんどん進行するということが起こるだろうと想像 しています。

――そうならないことを祈るばかりですが、そのためにも先生は、「温かいお金」が流通する社会をつくらなければいけないとおっしゃっています。温かいお金とは、どんなお金でしょうか。
内山 例えば、今日の社会で出回っているお金は、大半が「冷たいお金」「冷たい貨幣」です。貨幣上の価値以外の何物も付与されていません。仮に私のポケットに三千円のお金が入っているとします。このお金は「冷たいお金」です。なぜなら三千円という交換価値が示されているだけで、お金の価値以上のものは付与されていないからです。
ところが、あるおばあさんが孫が欲しがっていた物を買ったとします。代金はやはり三千円だった、この時のおばあさんは孫が喜ぶ顔やその後の楽しいひとときを思 い浮かべながら代金を支払うと思います。とすると、この三千円には純粋な貨幣価値とは異なる、もう一つの価値が付与されていることになる。お金では買えない価値が、お金に乗せられている、このようなお金を私は「温かいお金」と呼びたいと思います。
いまの高齢者たちは、日々「冷たいお金」を直視して暮らしていることが多いんだと思います。年金から家賃を払わなければいけないかもしれないし、病院の費用、電気代、ガス代、電話代、テレビ受信料、そして食事代、どう考えても余分なお金はない。こんなふうに考えたときのお金は「冷たいお金」です。血が通っていないお金といってもいい、こんなお金と毎日向き合いながら暮らしています。「温かいお金」と「冷たい貨幣」の間にはどのような違いがあるかという� �、貨幣価値とは次元の異なる関係が付与されているかどうかということになると思います。
振り込め詐欺は、そんなところを突いたものです。
例えば、久しぶりに子どもから電話がかかってきた。もちろん、子どもになりすました詐欺師ですが、そこで子どもは、今、自分が置かれている窮状を訴える。これだけのお金があれば窮状から脱出できると言います。親から見れば、子どもは手の届かないところへ行ってしまったと思っているところへ、自分を頼りにしてきた。だから、子どもを守ってあげたいと思う。電話が親子の強い絆を回復させたとも言えるのだと思います。


ナイアガラの滝スウィンガーズ

――「温かいお金」を流通させるには、人の顔が見える共同体をつくる必要がありますね。
内山 経済システムや国家、社会のシステムと結び付いている領域では、私たちは「冷たい貨幣」に振り回されてしまいます。金融市場で動く貨幣、企業の売上高、利益、市場で流通する貨幣、支給された年金、毎月の支出・・現代システムの中で動いているお金はほとんどが「冷たい貨幣」です。私たちが考えなければいけないのは、「冷たい貨幣」だけが支配する社会の中で、私たちは幸せになることができるだろうかという問いです。
上野村が養蚕が盛んで、生糸の産地だったころ、生糸の流通は村の中で暮らす仲買と、村の外から来る仲買によ� �て行われていました。決算には貨幣が用いられたけれど、双方には長い付き合いを通した人間関係がありました。農家からすれば仲買はなくてはならない存在であり、仲買から見れば農家はなくてはならない存在です。どちらも持続的に営業を続けなければ双方が困るので、この取引ではいろいろな配慮が払われます。配慮を通して、貨幣の持つ冷たさが低減されていったものと思います。
私たちの社会は根本から変えなければいけない時に来ていると思います。そうでなければ私たちは「冷たい貨幣」に振り回されながら、無力な人間として生き続けることになります。それでは私たちに幸福感はありません。

 資本主義のほころびを繕いながらもを、根本的な解決策を探す
――人と人の顔が見える等身大の世界が喪失したということですね。振り返ってみれば、ここ20年の間に日本の社会は大きく変わりました。バブル崩壊があって、若者の就職環境が悪化し、構造改革によって格差の拡大や非正規雇用が拡大し、交付税が減少して地方に元気がなくなりました。
内山 しかし、過去には今よりも悪い時代はいくらでもありました。今日のお米を確保するのにも苦労していた時代もあったのです。そんな時代でも人々は未来に希望を持っていたし、明日は今日よりも良くなるし、良くしなければいけないと信じていたと思います。
 現代が不安を感じて生きなければならなくなったのは、共有できる世界が喪失し、共有できる規範がなくなり、「善」と「悪」とは何であるか分からなくなったからでしょう。社会がゆっくりしか変わらないか、あるいは基本的な部分が全然変わらないか、そういう状況だと、共有する規範みたいなものができてきて、こういうことをしてはいけないとか、これはいいことだとか、そういうものが自然に生まれていくわけです。それが正義だったり、悪だったりするわけです。
 日本だったら、かつての農村社会がそうでした。長い間、基本的な営みは変わらないわけです。そこでも新しい農耕の道具が入ってきたり、作物の品種が変わるとか、変化はあるのですが、土を耕して、秋に収穫を喜ぶというところは全然変わらな� �わけです。そこで、こういうことは善いことだ、悪いことだと、それが自然に出来上がっていくわけです。ただ、長い時間の中では、共有されている規範というのは変わるし、それから、必ずしも全員が共有するとは限りません。
例えば、江戸時代は武士の仇討ちは正義だったけれど、武士以外の人から見れば、仇討ちが正義とは考えないし、仇討ちを今やったら、ただの犯罪人になるわけです。規範というのは変わってはいくんだけれど、時間の長さみたいなものが、正義とか、悪をつくるということです。
 ところが、現代になってくると、それだけ社会がゆっくりしていないわけです。だからどんどん変わっていくわけで、基本の部分まで変わってしまう。そうすると正義も不在だし、悪も不在だという時代になってしまう� �けです。そういう、正義も不在で、悪も不在な時代の正義とは何か、それは主導権を取った者が正義なんです。
 ですから、小泉さんや竹中さんは、一時は正義だったわけです。選挙に大勝して、明らかに一度主導権を取ったわけです。だけど、今やその主導権は失われつつあるわけです。現在の正義とは何かというと、アメリカをまねしたようなグローバリズムは駄目だったというような考えが主導権を取りつつあるわけです。もっとも、世の中には、その時々の正義に寄りかかって生きている人もいますが。

――先生は、現代の不安や問題点を考察して、かなり悲観的な見方もされいますが、それでも人間の可能性を信じ、われわれに未来があるとお考えですか。
内山 多分、それは持っています。哲学者と� �うのは、若いころは、ほとんどすべての哲学者たちが、人間の可能性を信じているんです。ところが、だんだん年を取ってくると二つに分かれてくる。
一つのタイプは、なおかつ信じる人と、もう一つのタイプは、やっぱり難しいみたいに感じる人です。現実がよく分かってくると、社会はそう簡単には変わらないとか、人間そのものもそう簡単には変わらないとか、そういうことがいっぱい見えてきて、人間への信頼に対して疑いが出てくる。だから、人間を最後まで信用する人と、途中から信用するのをやめてしまうタイプの、二つに分かれてくると思う。
 人間を信用しなくなった哲学者は、ヘーゲルなんかそうですが、人間ではないものに期待を持たざるを得なくなった。世界を動かしている何か巨大な力みたいなものが� �在し得るのではないかとかいって、世界精神とか、絶対精神とか、何か人間を超越した力こそが社会を変えていくんだというようなことを言います。
マルクスは、そのあたりが中途半端なところがありますが、意外とあの人も人間を信用していない。だから、むしろ資本主義が発展していくと、資本主義の内部論理で自己崩壊するという、そういう論法になってくるわけです。僕は、人間の可能性を捨てないという立場をとっています。

――今度の「100人委員会」では多数派という言葉が使われていますが、われわれは本当に多数派になれるでしょうか。
内山 「100人委員会」を提言したいちばん大きな理由は、少数派の居心地の良さに甘んじるのは、もうやめようという気持ちがあります。少数派というのは、� �外と居心地がいいんですよ。つまり、社会からつまはじきされているがゆえに、自分たちの精神状況としては、それなりに居心地がいい。うっかりすると、少数派の居心地の良さにとことん浸ってしまう危険がありますね。どうも、全共闘以降を見ていると、全共闘時代の人たちも含めて、少数派の居心地の良さに浸っているように思います。ですから、もう一歩を踏み出そうと提案したいんです。別に、僕は多数派工作をしようと思っているわけでもないし、政党をつくろうと思っているわけでもない、だから、多数派になるかどうか知らないけれど、今の社会の中では少数派なのかもしれないけれど、本当の多数派の思想というのは何なのかと探りたい。どういうものが多数派の思想になっていかなければならないのかを考えていきた いということです。

――ここまで来てしまった社会を真っ正面から考え直さない限り、根本的な問題解決にはならないとは、多くの人が考えていると思います。でも、今の資本主義に代わる思想、体制があるのかというと、どこにもありません。となると、欠陥だらけの資本主義ではあるけれども、ツギハギをしながらでも今の資本主義を手直しをしながらいくしかないのではないかというのが大多数の常識的な意見のような気がします。
内山 そうでしょうね。僕も、緊急避難的にはほころびを直す作業をしないといけないと思っているんです。というのは、派遣切りでも何でも、破綻してしまう人たちがたくさん出ますよね。そこでは失業保険や生活保護をもらいやすくするとか、いろいろな形でほころびをごま� �すという作業をしないと、本当に奈落の底に落ちるだけという人たちを出してしまう。
 ただ、今は両面作戦みたいなものが必要な時代だと思います。出てきているほころびを、ともかくあまりひどくならないようにツギハギでやっておこうというのが一つの作戦、それだけではやっぱり無理ですから、その無理というのを解明しながら根本的な解決を図ろうとする作業も同時にやらないといけないと思います。


――先生は、等身大の世界に戻るには、自然とつながらなければいけないと言っておられますが、村に住んでいる人たちはともかく、都市に住む人間にとっては自然を具体的にイメージすることは難しいと思います。
内山 確かに、自然という言葉で語っている限り、分かりにくいと思います。結び合っているのは特定の自然なんです。特定な自然と結んだ時に、自然と結ぶんです。上野村の人だって自然一般とは結んでいないわけで、上野村の自然と結んでいるわけですよね。
 江戸時代を見ていくと、「講」というのがあったんですが、町に住んでいながら特定の自然と結んでいました。それが富士山だったり、丹沢のお山だったりしていくわけです。
 今は、都� �に暮らしている場合でも、どの自然と結ぶのかということを、本当は考えないといけないわけです。かつては、それが信仰の山だったわけですけれど、多分、今は信仰の山ではなくて、どの村とつながるのかという、むしろ特定の自然ではなく、特定の村なわけです。だから、上野村と結びながら、都会で暮らしていくとか、それは他の村でもいいんですけれど、そういうことが結果としては、自然と結ぶということです。自然一般ではないんです。

 結び合うこと、助け合うこと、支え合うこと

――最近はマスコミでも巷の居酒屋でもしきりに、資本主義は行き詰まっている、欠陥だらけだということが話題になっています。しかし、資本主義に代わる思想、体制というものは見当たりません。われわれは何に希望を見いだそうとすればいいのかという時に、先生は「連帯」という言葉が鍵になるとおっしゃっていますね。
内山 近代世界は人間と人間の結び付きを、商品の結び付き、市場での結び付き、巨大システムによる管理に変えてしまいました。人間が生きているという感覚が消え、市場経済や巨大なシステムの「冷たい貨幣」の中で翻弄されるようになってしまった。これを打ち破るには、ローカルな世界、ミクロな世界、「里」の世界、どんな 表現でもいいのですが、生命が結び合う世界をつくらない限り、私たちは自分だけを守ろうとするおびえた存在であり続けるだろうと思うのです。
 人と人の連帯には、お互いにいかなる損傷も与えない「共存」、お互いに恵みを与えるような「互恵」、そして対立的な関係もあります。本当の連帯というのは、対立的関係を含めて、折り合いをつけていくということです。
連帯といえば人間と人間との連帯を思い浮かべますが、日本の連帯は、個人と個人の連帯ではありませんでした。個人の基盤には、共有された世界があったということです。この共有された世界を基盤にして人々は自然と連帯し、人間と人間が連帯し、時には他の村と連帯してきました。共有された世界を通して行われる連帯というのは、正しい理念に基づい て連帯しようというのではなく、折り合いをつけることでした。西欧の連帯は、正しい理念に基づいた連帯です。ですから、弱者と連帯するのは正義だったのです。それに対して、日本の伝統的な考え方は、正義を求めるのではなく矛盾を受け入れていくことでした。連帯の出発点は、共有された世界のほうにあったのです。

――共有された世界ということは、分かりやすくいえば、地域共同体ということでしょうか。
内山 地域共同体もその一つだと思います。自然と人間の連帯、地域社会での連帯、都市と農山漁村との連帯、高齢者と若者の連帯、健常者と障がい者との連帯、異なった文化で暮らす人々との連帯。これらのあり方を一つひとつ見つけ出していく積み重ねの先に、私は今日の社会システムとは異な� �未来の姿が少しずつ見えてくるような気がします。

――本誌が地方に出掛けると、最近はどこでもIターンした若い人たちに出会います。以前のIターンとは違うようにも思いますが、新しい変化が出てきているのでしょうか。
内山 今の若い人たちは、僕たち以上に、結び合うとか、関係性とか共同性に引かれています。農村にも農業にも引かれている。そういう若者を見て、よく知らない人は、テレビを見てあこがれているのだろうと評しますが、彼らは都会の現実が過酷になっていることを知っています。僕も大学で学生に教えてきましたが(注・立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科・特任教授、本年3月退任)、彼らはとりあえずは一生懸命に就職活動をしますけれど、就職しても最後は代わり映� �しないことになるだろうと彼ら自身が知っています。それに、今の若者の消費意欲の低下というのはすごいです。車などは欲しがりませんし、海外旅行にも行きたがりません。そんな中で、地方に入って農林業に従事したり、地域づくりにかかわる若者が出てくるわけですが、彼らはいち早く自然と結び合い、地域社会と連帯しています。彼らが意識するしないにかかわらず、新しい社会をつくり出す大きな可能性を秘めていることは確かです。
■インタビューを終えて。
 今われわれが着ている資本主義という服が、体に合わなくなり、あちこちがほころびても、さっぱりと脱ぎ捨てて、新しい思想、体制という服に着替えるわけにはいかない。第一、そんなものはどこにもない。100人委員会の趣意書にあったように、いろいろな人が、それぞれの立場で、さまざまなことを展開していくしかないのだろう。失敗があったとしても、それらの積み重ねによってしか、新しい思想は生まれてこないのだろう。気の遠くなるような迂遠のことだけれど、あきらめずに進むしかない。

資本主義の欠陥をどう繕うかーー
100人委員会に参加した二人の感想

内山節さんは群馬県上野村に住んでいる。小さな共同体の伝統的な暮らしの中で確立されたのが内山哲学である。当然ながら、内山哲学に共感する人は農林漁業に従事する人や地域づくりに関係する人たち、あるいは都市の巨大なシステムに疑問を感じている人が多かった。ところが、昨年、今年と内山さんが主宰した集会には、それまでの顔ぶれとは違う人たちが参加するようになった。
新しい顔触れを代表して、日本銀行の神津多可思氏と経産省の岸本吉生氏に、集会参加の感想を尋ねてみた。



神津多可思さん(日本銀行金融機構局・審議役)
ついこの間までは、市場のメカニズムが働くところでは、それをもっと働かせなければ、少子高齢化の進む日本では将来の展望が開けないという考え方が主流でした。それが、サブプライムローン問題以降、行き過ぎた市場経済への反省が一斉にわき起こってきましたから、100人委員会のように問題意識を共有しておられる方々が集まると、ややもすれば資本主義はもう駄目だと全面否定的な議論になってしまいがちです。
私は、今の体制でも大事にしなければならないところはたくさんありますよ、決して何かに乗り換えたらいいという単純な問題でもないでしょうという考え方です。
私は昭和31年生まれですから、学生時代は大学紛争も安保もない、� �会に出てもストライキもない、労使協調で高所得化、バブルに浮かれた時代も見てきて、自分も恩恵も受けてきました。ですから、今あるものの中で、調和させ折り合いをつけていくのが大事じゃないかと思うのです。資本主義は問題も多いし、いろいろな矛盾も弱点もありますが、現時点では起承転結がすべてそろった代替案はありません。昔は曲がりなりにも社会主義、共産主義という代替する思想がありました。今はない。だから折り合っていくしかないわけです。
行き過ぎた市場主義の対極に、"自給自足"なんていう話を持ってきても、話題としては楽しいけれど、決して多数派になれる考え方ではないと思います。しかし、何でもかんでも価格を付けて市場に流通させようとする考えは反省すべきです。そんな意味で、昨� ��の上野村シンポジウムで、私のキーワードは何かと問われて、"多様性"であると発言したわけです。多様性を認める社会は寛容な社会であり、寛容というのは物心両面の豊かさに支えられているということですから、健全な社会だと思います。
 私は、大学に入った時はマルクス経済学に興味があって、そっちのほうから経済学に入りまして、その後に市場の機能を分析する近代経済学を勉強して卒業しました。
 現代は、マルクス、エンゲルスの言ったような社会になりませんでしたから忘れ去られたようになっていますけれど、資本主義の矛盾を指摘したマルクスの精神まで否定されているわけではない。ある部分では、マルクスが言っていたことは今も生きていると思っています」

 岸本吉生さん(経済産業省中小企業庁・経営支援課長)
金融危機が起き、「市場主義は悪だ」という認識が急に勢いづいていますが、市場主義が悪いとは思いません。グローバル経済も、中山間地の地域経済も、市場を基礎としています。
ただ、経済活動には二つのタイプがあることは事実です。グローバルな競争に参加し、途上国の安い労働力と伍していかなければならない分野、グローバルな競争とは距離を置いて顔の見える人間関係、安全・安心な暮らしを求める分野です。ベビーブーマーが60歳代になり、その子どもたちが40歳代になる。地域に根差した暮らしを求める人々は、ますます増えるでしょう。
地方のたいていの町には、20分も車を走らせればショッピングセンターがある。でも、地元で買えるものは地元で買いたいと、多くの人々が望んでいる。そうすれば、地 元の農家、漁師、商店が元気になり、町が元気づくからです。この仕事をしていますと、こうした考え方で町を元気にしようと頑張っている方が多いとつくづく感じます。経済学者が言うように、誰ももが経済合理性だけで仕事をしたり、買い物をしたりしているわけではありません。確かに、グローバルな競争は、地域の暮らしに多大な影響を与えています。その半面、地域のぬくもり、思いやり、助け合いの精神が立派に息づいています。
メディアでは日本が衰退するという論調が大半ですが、日本のものづくりは世界最強です。自信を持って大丈夫です。アジア諸国、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の発展は続きます。日本は、その恩恵を受けていくと思います。グローバルな競争に挑む同胞は応援したいもの� �す。
これから10年を見通すと、働き方について、原点に返って考えなければなりません。第二の人生として、一日2時間だけ農産物を収穫したり、小学校に頼まれて半生を語ったりしてわずかな報酬をもらう働き方が当たり前になるでしょう。福祉と雇用がうまく組み合わせられなければなりません。参考になるのはスウェーデンです。20歳代から40歳代は、世界の最前線で稼いで貯蓄する。50歳代になれば本国に戻る。「スウェーデンに残ったわれわれが一生懸命に税金を払っていたときに出稼ぎに行ったお前たちを、入国させない」などといった意地悪はありません。
地域を豊かにするには、地域の未利用資源を最大限に有効活用することです。農商工連携はその一例です。秋田県小坂町はアジア中の金属ごみを集め、リサイ� �ルさせることで雇用と富を得ようとしています。顔の見える信頼関係があれば、地域のビジネスは成功します。分野は問いません。こうした地域の連携を応援するために、経済産業省は、つなぎ役となる人と組織を応援しています。



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