兄弟間のライバル意識
−−セイモア・V・レイト著(「Casper, the Friendly Ghost」の作者、漫画家)
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前書き
兄弟姉妹間で緊迫した関係が生じること、つまり好き嫌いとか、仲良くしたり競争すること、かばい合ったり拒絶したりなどするのは、ごくありふれた自然な事である、これが、ある意味で私が皆さんに伝えたい一番大切なメッセージだと思います。家庭に2番目の子供が生まれる時にドラマは始まり、1人新しく生まれるごとに続いていきます。上の子供達は、ぐずぐず言ったり叱られるような事をしたり、あるいは称賛や喝采を浴びようと、何かの技術や能力を向上させたりすることによって、親の関心を要求してくるかもしれません。また赤ちゃんを直接攻撃したり、怒鳴ったり、他の子供達と喧嘩をすることによって怒りを表現することもあるでしょう。赤ちゃんが痛がるほどにきつく抱き締めるかもしれま� ��ん。心の内の感情を外に出すことはせず、肉体的にその症状が出ることもあります。湿疹が出たり爪を噛んだりといった具合に。ずっとベビーベッドのそばで時間を過ごし、タカのような好戦的関心を持って赤ちゃんの動きを見守るかもしれません。おねしょや、指を吸うといった、幼い頃の癖が再び現れることもあります。また同時に、赤ちゃんの魅力を楽しみもし、一生懸命に保護しようとしたり(時にはやり過ぎることもありますが)、愛情深くしたり、赤ちゃんを誇りに思ったりするのです。そしてもちろん、今や自分が「お兄さん」「お姉さん」になったという特権に満足することでしょう。
新しく赤ちゃんが生まれるたびに、その赤ちゃんも、様々な感情と行動をもって兄や姉に反応します。お兄さんあるいはお姉さんが出来ることに憧れたり、その特権を羨んだり、決して「追い付け」ないことで欲求不満に感じたり、偉そうにされて反感を抱いたり、自分を守ってくれる頼りになる者がいることを知って安心したり。どちらの反応も、思いやりやお互い同士のかかわり合いを示しており、それらは純粋な親密さや分け合うことの基礎になりますが、そのどちらも、単純でも容易なことでもありません。
兄弟間のライバル意識:
人生の現実
時に受け入れ難いことかも知れませんが、兄弟間のライバル意識というのは、極めて自然で正常なことです。兄弟姉妹間での闘いは(その組み合わせがどんなであろうと)、世界中どこの家庭にも見られる最も基本的な関係の一つです。そういったライバル意識についての話は、はるか昔の聖書の時代、あるいはそれ以前にもさかのぼります。
現実の生活には喜びや満足感もありますが、浮き沈みがあり、落胆や欲求不満もあれば、家族内でのいさかいも付き物です。多くの大人はつまらない言い争いをしますし、ほとんどの子供もそうです。なぜでしょう? 人間であるなら当然、必要や感情を持ち合わせており、時に、そうした必要や感情の中には、受け入れがたいものや、しっくりこないものもあるからです。特に、まだ成長過程にある幼い子供の複雑で不可解な世界においては。
簡単に言って、幼い兄弟姉妹の間での競争は、彼らなりの「個性」、つまり私達皆が必要としている尊い自己意識を探る手段の一つです。この感情面の探求は、大人にとって重要であるのと同じぐらい子供達にとっても重要なのです。
野菜には感情も自己認識の必要もありません。しかし人間には必要です−−そして子供も人間なのです。非常に幼い子供達にとって、こうした欲求は、私達以上に強いといっていいでしょう。子供達はまだ、自我を守る装置が心の内にできあがっておらず、私達が成長する際に身につける社会的行動のルールという保護手段も持ち合わせていないからです。
では、子供達には行動の基準というものはないのでしょうか? そんなことはありません。−−しかし、一般的に言って、その基準は幾分異なっています。ボサード博士とボル博士の研究グループによれば、「大人は子供の行動を、大人の基準に沿って判断するが、子供達は自分達の行動を子供達の基準で判断する」ということです。この「子供の規範」(公平さや所有権などに関する観念)は、基本的で単純であり、大人のものに比べて未熟です。しかし、大人のと同様に強力で有効なのです。
ライバル意識の源
ライバルとは、辞書によれば、「相手と同じ目標やゴールを目指して競い合う人、あるいは相手と同等またはそれ以上に事を成し遂げようと試みる人。競争相手」のことです。
兄弟姉妹間のライバル意識はごくありふれたことであり、時にそれは非常に厄介な問題でもあります! ところで、いったいこれはどこからくるのでしょうか?
ある専門家は、家族構成を「星座」にたとえています。−−夜空の星座に見られるように、家庭内にも特有のパターンや配置があるのです。
家族という星座−−つまりこの小社会−−には多くの次元があります。援助組織として機能することもあれば、圧力釜の働きをすることもあります。暖かさや安心感や愛を与えると同時に、緊張感や不和やいらだちを作り出すこともあるのです。人間が一緒に近く生活する時、いさかいや意見の相違はつきものです。それぞれの意見や必要や欲求はしばしば異なっており、家族内では絶えず必要や願望がぶつかり合うのです。
このような衝突には、別の理由もあります。家庭は、大人と子供にとって、避難所と安全弁の両方の働きをしており、私達が、自分の心の底にある、正直な感情を表現出来る場です。−−つまり、ふたを持ち上げて少し蒸気を発散できる場なのです。
家族内でのお互いへの愛や依存は、家族以外の人に対する愛や依存よりも強く、家族には自分の心の奥深くにある感情をよりオープンに表現するものです。
変化するパターン
人生とは、常に変化し成長する過程です。そして家庭は多くの面でこれを反映しています。
例えば、二人の親(一人の親の場合もありますが)から成る家庭に初めての赤ちゃんが生まれたとします。そうやってできあがった小さな星座においては、大人はたった一人の子供に集中して愛や気づかいを注ぐことができます。その内に、2人目の赤ちゃんが生まれます。この子は、初めの子と違って、2人の親と1人の姉あるいは兄から成るグループに加わるわけで、3人目の子供は4人のグループに加わります。だからどうだと思われるかもしれませんが、実は、兄弟の性格のパターンを理解する上で重要なポイントです。
子供の「誕生順」は気まぐれなもの−−つまり誰にも支配できない事柄ですが、この順番には、様々な利点と不利な点とがあります。例えば、最初の子供は、独特の身分を楽しむことでしょう(少なくともある一定の期間は)。親の関心と気づかいはその子に集中的に注がれ、その子は言わば王座に座する小さな君主であり、自分の地位を脅かす者はいません。親もまた、最初の愛児には非常に高い期待と基準を持ちやすいようです。
ある意味で、2番目の子供は、この最初の子供の地位を侵害することは決して出来ないようです。幾ら頑張ったところで、最初の子供のほうがいつも年上で、体も大きく、普通は能力や体力も上です。けれども、親達は普通、2番目の子供に対しては、もっと穏やかでリラックスしています。最初の子供の時の間違いや経験から学んでいるので、2番目の子供は、最初の子供ほど親の持つ緊張感や心配にさらされることはないのです。親もまた、2番目の子供には、最初の子供に対してほど色々と要求しないかもしれません。
3番目の子供は時に、より「甘やかされ」、大事にされすぎる事があります。特に上の子供達が就学年令に達している場合はそうです。それに加えて、3番目の子供は、振る舞いにおいて見習うべき兄弟が2人もいます。上の子供達はしばしばこの新しい家族メンバーの指導者や先生の役割を果たします。
他にも、4番目の子供、5番目の子供、双子など、色々あります。
年令差
兄弟間のライバル意識は、家族構成や誕生順だけでなく、子供同士の年令の開きによっても違ってきます。
嫉妬とライバル意識は兄弟の年令差が1歳半から3歳の時により激しいというのが、大半の専門家の一致した意見です。その場合、年令差は狭く、発育のパターンも似通っているので、それがより大きな摩擦へとつながるのです。年令が4、5歳離れていると、兄弟間で競い合うことも少なくなります。同じものを必要としたり、同じ行動をすることがあまりないからです。
男女別
調査の結果、嫉妬は一般的に、異性の兄弟同士よりも、男同士、あるいは女同士の兄弟において、より多いようです。同性のしかも年令の近い兄弟姉妹は、必要や興味がかなり似通っているので、喧嘩や対立も増えるのです。
比べ合うことと自分を評価すること
本能的に、子供達は親の言うことだけでなく、自分の技術や能力を他の子供達と比べ合うことによって、自分を評価するようになります。そしてこの目的のために、最も簡単で手軽に比べ合える相手が、自分の兄弟姉妹なのです。特に年令が近い場合はそうです。
ですから、ある意味で、兄弟はお互いを鏡として使い、それによって自分がどんなで、どんな者になれるのかを見ているのです。弟や妹は、兄や姉をまね、彼らのすることを模倣しようとします。また兄や姉は、弟や妹と比べることで、自分の成長の進み具合を見て、進歩しているという満足感や達成感を得るのです。
行動と互い同士の関係
兄弟間で、暖かさや愛や分かち合いの精神を育むこともでき、また実際にそれが育まれているのですが、時に、互い同士の関係において、感情が傷ついたり、摩擦や喧嘩、挑戦や非難、怒りや嫉妬、恨みが生じることもあります。そして、子供達(特に幼い子供達)はあまり気をつかったりはしないために、余計にそういう感情が生じやすいのです。子供達の言葉はぶっきらぼうで、彼らは感情のままに振る舞い、その感情は率直で単純です。子供達は「君の態度に怒りを覚えるのだが。」とか「君の振る舞いは受け入れられない。」などとは言わず、「お前なんて大嫌いだ!」と言います。−−それだけなのです。
親の愛を求めて競い合う
子供達の間の競争の大部分−−年令によっては、殆どですが−−は、単に親の愛や称賛を求めての競争です。子供にとって、親の愛は必要不可欠であり、何にもまして重要です。親の愛は、安全や安心感や心の支えの源だからです。
子供達が心の底から必要としており、最も欲しているのは、自分が全面的に依存している大人(達)から愛を受けることです。そのように依存していることから、幼い子供は、親が他の子供に愛を示すと、自分は親に愛してもらっていないのではないかと恐れることがあるのです。
誕生の順番
アルバート・アインシュタイン、ウィリアム・シェークスピア、マーガレット・ミード、ベートーベン、ハリー・S・トルーマンに共通するものは何でしょうか? 有名になった事はもちろんですが、実は、彼らは皆、弟や妹を持つ長男長女だったのです。
何年にも渡る研究の結果、子供の誕生順に応じて、ある一般的なパターンや性格の特徴が確かにあることがわかっています。実際、この生まれた順番が果たす特有の役割について何も知らないでは、兄弟の行動の本質を真に把握することは出来ません。
兄弟の内でどの子供も、生まれ育つ時の家庭の状況が違っていることに気付いていない親が大勢います。この原則を念頭において、兄弟というはしごの段を一つ一つ簡単に見てみましょう。
最初の子供
最初の赤ちゃんは一人っ子で、特権を持った子供であり、すべての関心の的になります。
初めての子供は家族の中心的存在となり、他の子供とパパやママを分け合わなくてもよいので、子供の自信や自己評価に、肯定的で永続的な良い影響を及ぼすことになります。初めの数年間は、その子供は子供同士の関係よりも親子の関係にかかわることになります。その結果、最初の子供という地位はその子供に「ある種の独善さ」を与えると、研究者のアービング・ハリス氏は語っています。同氏や他の人達は、一番上の子供の最も幼い頃の記憶は大人と関係したものばかりであることから、その子供は権威をよりよく受け入れ、より一貫性があり、道徳的にもより厳格になると言っています。また、自分の正しさをより信じる傾向もあるようです。また、下の子供達と違って、一番上の子は妥協するよりむしろ� ��固に戦いたいと思うようです。
このような特権があるものの、最初の子供であることには欠点もあります。両親はまだ親として未熟なため、間違いも犯しやすいようです。また子育てという仕事のことで、あれこれ心配したり神経質になりがちです。
また、最初の子供にはより厳しくなりがちです。一番年上なので、他の子供の模範となり、頼りがいがあり、責任感があり、しっかりしていることを期待されるのです。
2番目の子供が生まれ、最初の子供が「退位」する時が来ると、それは上の子供にとってショッキングな体験とも言え、2番目や3番目の子供が経験しないような特別な順応が必要になります。
2番目の子供
先に述べたように、兄弟間での競争心やライバル意識が最も激しいのは普通、年令が近い時、つまりその差が3歳以下の時です。またその兄弟が同性の場合にもより顕著になるようです。
2人兄弟の家庭では、上の子供が何かと勝っていますが、下の子は心理的手段を使って補うことができます。年令的に勝ることができず、上の子のあとをたどる運命にあるので、2番目の子供は兄あるいは姉をうまく操ったり、からかったり、けしかけたりするのが上手になったりします。
2番目の子供の多くは両親が一番目の子にした間違いから益を被ります。父親や母親が、困難な方法、つまり試練や失敗を通して学んだからです。もちろん、2番目の子供はプレッシャーを感じます。どうしても上の子供のほうが先を行っているからです。同時に、年上の模範と生活することは、下の子がずっと早く進歩する助けになり得ます。従って、2番目の子供は、より早い時期に遊びや自転車の乗り方、自分で洋服を着ることなどを学ぶことがよくあります。
またよりリラックスした親のもとで育ち、規制も少ないために、2番目の子供は何かもっと自由で、より冒険的になり、「規則」に関してそれほど厳格にならない傾向にあるようです。
真ん中の子供